Advanced care planning

胃瘻、点滴、点滴なし、これまでとこれから

まとめると

認知症終末期の胃瘻、点滴の是非について
ここ十数年で価値観が大きく変化
点滴をしないのは立派な緩和ケア、という観点
.

なぜこの話題を?

最近、病院での看取りで点滴もなし、ということが増えてきました。いまの勤務先の環境によるものかもしれませんが、十数年医者をしてきて、大きく潮目が変わる肌感覚があります。

過去に胃瘻PEGについてブログを書きましたが、その後、今までに読んだ論文を読み直したり、新たに追加で読んだりした論文があるので、世の中の流れと合わせてまとめてみます。

胃瘻造設のデメリット胃瘻造設と予後について。メタ分析で比較的新しいものです。生存は変わらず、肺炎と褥瘡が増えます。...

人工栄養に対する医師の態度の推移

経鼻栄養や胃瘻栄養だけでなく、終末期に点滴を行うことも人工栄養として取り扱います。経口摂取以外の何らかの栄養投与は人工栄養という括り。

2004年調査、胃瘻に異論なし?

ブログ主が医者になったころ(2000年代半ば)は、胃瘻全盛期でした。食べられないなら胃瘻、施設に入るにも胃瘻が必要という風潮で、自分も含めて周囲に胃瘻造設の是非を問う声はありませんでした。超高齢でも技術的に可能であれば、胃瘻でした。

2004年に調査されたのAita先生の論文(BMC Geriatr. 7, 22 (2007)

対象:医師30名(重度認知症を有するコミュニケーション不能な高齢者診療経験あり、首都圏)
時期:2004年2月〜10月
方法:1対1のインタビューを元に分析後、グラウンデッド・セオリーで形成
内容:人工栄養を行うか否かの決定に影響を与える要因、人工栄養に関する懸念やジレンマ、胃瘻栄養の選択に関する質問

以下、当時の世相を反映する生々しいインタビューの引用です(翻訳をDeepLを元に改変)

本人の意思の介在はごくわずか

選択肢として出しているという感じよりは、食べられなくなったらやると言ってます。治療的に次のステップとしてはそれですよ、といこと。(PEGを)しないっていう提示はあんまりないんじゃないかな。(中略)本人の意見とかそういうものはなく、家族の意見もないんでしょうね、やっぱり。

今やらないと死んでしまうと言って、では胃ろうやりましょう、ともっていってしまうというところもあります。誘導すればいくらでも誘導できるんですよね。

※同じ研究ですが、出典は会田薫子[著]、「延命医療と臨床現場」2011年

自分の感覚通り、胃瘻をして当然という風潮でした。決して、当時の医師の姿勢が良い悪いを論じたいわけではありません。むしろ、後述するように訴追の可能性がある時代にインタビューに協力されたな、と感謝と尊敬です。

Legal barriers(法的な障壁)

 “There is no system that protects physicians who withhold ANH. Besides, there is no social consensus on the issue. Under these circumstances, I believe we have no choice but to give ANH to a patient who cannot eat.”

人工栄養を差し控えた医師を保護する制度はない。また、社会的なコンセンサスも得られていない。このような状況下では、食べられない患者には 人工栄養を与えるしかないと思います。

“If I withheld ANH, nurses will secretly tell it to the police or mass media. I definitely think so.”

人工栄養を控えたら、看護師がこっそり警察やマスコミに話すのではないか。絶対にそう思う。

当時は、人工栄養の差し控えのコンセンサスがなく、訴追を恐れる状況でした。「看護師が」とありますが、「延命医療と臨床現場」ではもう少し文脈が詳しくあり

絶対、やりません。僕らチーム医療であって、たとえば医者がそんなことやったって、看護から絶対チクられます。絶対、新聞とかに言われます。絶対にできないことです。医療人ではありえないです。やってないです現実に。

と、医師の独断で決めるべきではないとも受け取れます。どちらにしても、人工栄養を一度始めてしまうと中止はあり得ない、という考えです。

Emotional barriers(感情的な障壁)

“Withholding ANH constitutes an act of abuse. You know it directly leads to death and this is the same as letting babies die without giving food.”

ANH の差し控えは虐待行為になる。それは死に直結するものであり、食べ物を与えずに赤ん坊を死なせるのと同じことだ。

“Physicians have been taught to prolong life anyway. It is always a problem knowing when to withhold treatment in the absence of guidelines. In addition, I believe physicians would experience a lot of emotional distress if they withheld care.”

医師はとにかく命を長らえさせるように教えられてきた。ガイドラインがない中で、いつ治療を中断すればいいのか、常に悩まされる。さらに、治療を差し控えた場合、医師は多くの精神的苦痛を経験すると思います。

食べさせないことは虐待という認識もありました。治療差し控えのためらいは医師だけでなく、特に急性期病院の看護師も感じていそうです。2007年に「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」が出ました。当時としては非常に画期的でしたが、あくまでも救急セッティングで慢性期の意思決定支援するものではありません。

Cultural values(文化的価値観)

in Japan, patients in a vegetative or minimally con- scious state are kept alive not for themselves, but for the sake of the family

日本では、植物状態や最小意識状態にある患者は、本人のためではなく、家族のために生かされている

“A patient is just lying in a hospital bed, but I have noticed that in some cases, the patient’s existence is of significant value for the family, uniting other family members.”

患者は病院のベッドに横たわっているだけだが、患者の存在が家族にとって大きな意味を持ち、他の家族を結びつける場合もあることに気づいた

この価値観は今も続いていると思います。本人のためでなく、家族のために生きてほしいという希望が優先されることを目にします。

個人的に、再読で衝撃を受けたのはこの言葉

 “It is simply natural to provide food to everybody, regardless of their physical condition, because we offer food even to the dead in Japan.”

日本では死者にも食べ物を供えるのだから、体調に関係なく全員に食べ物を提供するのは当たり前だ

そうなのです。私達は宗教を普段意識していないのに、仏壇にお供え物をし、お墓をきれいにします。無自覚なところが議論に登りにくい理由でしょうか。「科学的」に考えれば、お供え物に意味はないはずです。それでも、伝統的な日本人は温かく湯気のあがるご飯を仏前に供えます。

Reimbursement-related factors(診療報酬に関わる要因)

急性期病院で入院期間短縮のために、胃瘻造設を行うことが一般的でした。療養病棟では出来高制ではないため、高カロリー輸液は診療報酬上不利になることが指摘されています。

その後、社会情勢の変化や診療報酬の減額もあり、胃瘻造設件数は急激に減っていきます(引用した論文は別です)。


石崎達郎. レセプト情報からみた高齢者医療. 日本老年医学会雑誌 53, 4–9 (2016)

2010年調査、ぶら下がる輸液ボトルは有益?

再び、会田先生の論文(日本老年医学会雑誌 49, 71–74 (2012))から

対象:日本老年医学会の医師4506名(有効回答数1554名、34.7%)
時期:2010年10月〜11月
方法:郵送による質問指標調査
内容:アルツハイマー型認知症(FAST stage7(e))の仮想患者が繰り返す誤嚥性肺炎の後、肺炎は改善したが経口摂取困難と医療チームが判断したシナリオ。事前意思表示は本人も家族もなし。

対象が老年医学会会員で、有効回答率は34.7%と高くはありません。認知症患者の終末期や人工栄養について関心の高い医師が回答していると推測され選択バイアスはありそうです。

質問への回答

人工栄養の第一選択は?

末梢点滴を継続し自然の経過へゆだねる 51.3%
胃瘻栄養法を導入 20.5%
経鼻経管栄養法を施行 13.3%
すべてを差し控えて自然経過へ 10.3%

末梢点滴が最多でした。末梢点滴の意義は(複数回答)

患者にとって末梢点滴が医学的に必要だから 37.5%
すべてのAHNを差し控える場合に比べて,家族の心理的負担の軽減になるから 68.8%
すべてのAHNを差し控える場合に比べて,医療スタッフの心理的負担の軽減になるから 56.9%

このアンケートでは、家族や医療スタッフに配慮する心情が見て取れます。急性期病院なのに治療しないんですか?という葛藤をよく聞きます。また、

89.3%の医師は,医療スタッフと家族が十分話し合った結果であれば,末梢点滴だけを行い,自然の経過にゆだねることは可能であると考えていることが示された.

と、条件が整えば、末梢点滴で看取ることについて大多数が許容しています。胃瘻を作らないことは罪だ、と考えられていた2004年とは大きく情勢が変化しています。

人工栄養(AHN)を続ける意味、差し控える意味については

AHNを差し控えて枯れるように死ぬことは自然である 64.3%
病院ではAHNを施行せざるを得ない 67.9%

と、人工栄養を差し控えることを肯定的に捉えているものの、病院というセッティングがためらわせる要因になっています。また、「マスコミが騒ぐ」ことを懸念する医師も38.9%ありました。

老年医学会会員の関心の高い医師でも、2010年時点ではこのような考えでした。ましてや、ブログ主やその周囲ではここまで議論が進んでいませんでした。末梢点滴を差し控えることは困難で、会田先生の論文を読んでやっと「末梢点滴での看取りを提案してもいいんだ」と考えることができました。胃瘻導入を避けるために、末梢点滴という方法もありますよ、と逃げ道を作りたかったのかもしれません。

その後、2011年の会田先生の論文(医学のあゆみ 239, 564−568 (2011)

医療者と家族がコミュニケーションをよく取りつつ点滴をしながら看取る方法については,大多数の医師が受け入れ可能な選択肢と認識していることが示された.”点滴ボトルの下がった風景”が,なにもしていないことに付随する心痛を減らし,家族や医療者など,看取る側の情緒をケアするというこの方法には,しかし問題がないわけではない.点滴の針を刺し,それを繰り返すこと,また,少量といえども輸液を継続することが,患者本人にどの程度の苦痛をもたらすかは不明であり,また,輸液の継続によって最期の期間を延長することは,本人にとって益となるのかどうか,熟慮が必要といえるのではないだろうか.

ブログ主はこの論文を2014年頃には読んでいたはずですが、末梢点滴の中止を積極的に考えるようになったのは、やっと2020年頃になってからと思います。

血管確保が困難な方には、皮下輸液を提案するようになりました。点滴頻回穿刺を避けるのが目的で妥協の産物です。最期の期間を延長してしまう意義を家族と議論することを避けたため、迂回ルートができてしまいました。また先延ばしです。内心は点滴中止が妥当と思ってはいたのですが。

前述の2004年の論文からの引用で

“I used to think that PEG was a really good method, because PEG tube feeding causes much less discomfort than NG tube feeding. In addition, PEG can be completed within 10 minutes. But later, I questioned anew if it was really good, whether the patient and family really wanted it, when considering a prolonged dying process or possibly worse dying process troubled by complications caused by PEG”

以前は、PEGは本当に良い方法だと思っていました。なぜなら、PEGチューブ栄養はNGチューブ栄養に比べて不快感がずっと少ないからです。また、PEGは10分以内に終了することができる。しかし、その後、PEGによる合併症で死期が延びたり、悪化したりすることを考えると、本当に良い方法なのか、患者や家族は本当に望んでいるのか、改めて疑問に思った

この先生の気持ちと重なることがあります。末梢静脈輸液に比べると皮下注射はずっとマシと思っていました。今は、本当によい方法なのか疑問に思うようになりました。

最近はAdvanced care planingを行いましょう、という風潮が広まりました。この風潮のおかげで終末期の話や寿命を伸ばす意義を議論しやすくばっています。家族だけでなく病棟スタッフとも率直に話ができますが、人それぞれなので少し探り探りなところもあります。

2022年調査、点滴なしの意思?

医師の姿勢の変化ではなく一般市民の考えについての論文です。

2023年にPC学会の冬セミで今永先生の講演を聴講しました。その中で引用されていた今永先生自身の老衰死に関する論文(一般市民への老衰死に関するインターネット調査. 日本在宅医療連合学会誌 2, 19–26 (2021))から

対象:一般市民(40歳以上、年齢・地域は国勢調査の人口構成比に応じてサンプリング)
時期:2020年9月
方法:インターネットリサーチ会社を通じた調査
内容:老衰死のイメージ、老衰の妥当な年齢 など

「老衰で亡くなる」ということに対してどのように感じているか

一般人が老衰についてどう感じているか、なんて考えたこともなく非常に興味深い論文でした。そして、意外なほど、老衰についてポジティブに捉えられていることが分かります。インターネット調査で、ポイ活的な側面があるかもしれないので(ないかもしれない)やはり選択バイアスはあるかもしれません。いわゆる「意識高い方」が多いかもです。

一般市民は老衰と考えられる状態となったときにどのような医療を希望するか

さらに今永先生の別の論文 日本在宅医療連合学会誌 3, 52–59 (2022))から

同じくインターネット調査です。水分補給目的の輸液を自分自身に望まない人が4割、家族に希望しない人が3割で驚きの結果です。そんな実感はないので、やはり勤務先周辺の人とは標本集団が違う可能性があります。でも、これからどんどん地方にも増えて来るんだろうな、とは予測します。

個人的な経験

約10年前の失敗

2010年代半ば、500床規模の急性期病院に勤務していました。90歳前後の超高齢、老衰と誰もが思う方が入院した際、ブログ主は家族と相談の上「点滴もせず、自然な形に任せましょう」の方針になりました。理想的な終末期が提供できた〜!と意気揚々と家路につきました。天気の良い土曜日だったことを覚えています。

週が開けた月曜日、師長さんに呼ばれました。

  • 終末期の大切な話を家族と医者だけで決定するなんてあり得ない
  • 急性期病院で「点滴も何もしない」ことに抵抗を持つ看護師もいる
  • 看護師は「この点滴が取れなくなったら自分のせいで看取りになってしまう」というプレッシャーの中、ルート確保している
  • その気持ちにも配慮してほしい
  • ちゃんと多職種で意思決定していきましょう

と注意を受けました。心情への配慮、できていなかったんですよ。いい話ができたと浮かれていました。受け持ち看護師帰り際に「〇〇さん、点滴なしで看取りになったから点滴抜いといて〜」と軽く声をかけて帰ってしまったのです。看護師の処置の成否で担当患者の生き死にがかかっている、と感じていると辛いですよね。

その当時はやはり点滴なしで急性期病院での看取りが一般的ではなかったのです。もっと慎重にすすめるべきでした。そして、率直に伝えて下さって師長さんには本当に感謝しております。

今のこと

過去と比べると、多職種共同が増えました。心理的にも楽だし、他の人がどう思っているかを聞くことが非常に興味深いです。医者同士で主治医観も違うことは認識していましたが、看護師間でも看護観もかなり違うこともわかったのも新鮮。みなさん、経験年数とか経験症例で思うところもあるでしょうし。

大きな変化は、スタッフの心理や家族の心情よりも本人の希望はどうだったろうか、本人のためになるか、尊厳を保てているかという点が重視されていることです。自分ひとりの意見ではなく、関わる医療スタッフの意見として、点滴の差し控えはどうでしょうか、と提案できる環境が整いつつあります。

これまでは「点滴しない」選択肢なんてとても家族には言えない、あるいは同意されないだろう、という忖度もあったような気がします。振り返って本当にそうだったのかは自信がありません。想起バイアスでしょうか?ついつい都合よく記憶を改ざんしがちで・・・

まとめ

地域医療研修中は基幹病院では出会わない非癌の終末期に直面します。視点が大きく変わりますので、戸惑うでしょうし抵抗感を持つ先生もいると思います。それも含めて経験かな、と。

医療従事者が方針決定に迷った経験があること、今も迷うことがあることはとても大切なこだと思います。家族の逡巡に共感する材料にもなりますし、100%正しい方針なんてことは無いでしょうし。

何も治療をしないことは罪ではなく、治療しないという選択が立派な緩和治療であると胸を張っていきましょう。「点滴しない≠何もしない」ではありません。点滴だけがケアではありません。口を湿らせて乾きを癒すことが本人の苦痛緩和につながります。

米国では患者さんや家族が「治療中止の自己決定権」を主張し獲得してきた背景があります。日本の文化では医療者が「本人の尊厳を尊重する選択肢」「点滴しない選択肢」を提示しない限り患者さんや家族が考え、選ぶことはできません。今のところは。

こんなクソ長い文章を最後まで(飛ばし読みでも)読んでいただきありがとうございます。

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